■てめェら全員地獄に堕ちろッ 〜始まりはその日から〜■

深水 晶

 苛々する。世間はクリスマスだの、イブだのと浮かれ騒いでいる。本日、12月23日祝日天皇誕生日。てめぇら皆クリスチャンか? クリスマスイブが一体何の日か知ってんのかよ? どいつもこいつも人目も憚らずサカリやがって。どっかの神様の誕生日祝う暇があるなら、ちッたァてめェんとこの天皇誕生日を祝ってみたらどうなんだッ。ってそれも十分うぜーけどッ。
 てめェら全員地獄に堕ちろッ。 誰もやらねェなら、俺がこの手で冥土へ叩っ込んでやる。大体なんなんだよ、この異様な人混みは! 俺は人間がうじゃうじゃいるトコが大大大ッ嫌いなんだよ! なのに畜生、こんなところに呼び出しやがって、あのクソ野郎。しかも予定の時刻はもう3分も過ぎて、1時3分になってるし。顔見たら瞬殺決定。即殺す、今すぐ殺す、速攻殺す、マジ殺す。
「やぁ、駿[しゅん]クン。遅れてゴメン。いやぁ参った、人も車も本当すごい混雑だね。慌ててバイクかっ飛ばして来たよ。おかげでセットした髪がグシャグシャだ」
 遅刻魔勝浦忍[かつうらしのぶ]がそう言った時、俺は既に腰を落とし、左足を引いていた。
「……駿、クン……?」
「喰らいやがれッ! このクソ野郎!!」
 目を真ん丸に見開いている勝浦の顔面に、見事に蹴りが入った。自分でも惚れ惚れするような会心の一撃。一瞬で、身長2mを超す勝浦が、地面に沈む。
「ふう」
 やっと、これまでの苛々やモヤモヤが、少し晴れた。もしかしたらここのところ受験勉強で、運動が足りなかったのかも知れない。そう思ったら、ちょっとだけ気絶している勝浦が気の毒になった。
「おい、大丈夫か?」
 顔だけ取り柄の巨漢[かつうら]は目を回して動かない。映画館のエントランスホール。通りすがりの親子連れの子供の方が、興味深げに覗き込もうとして、母親が強く腕を引かれて、抗議しながら、連行される。さっきまでいちゃつきまくっていたアベック共も、それぞれの世界に浸るのをやめて遠巻きに俺達を見ている。
 ふむ。やはり、ここは、出直した方が良いだろうな。勝浦はちっとも起き上がる気配が無いし。携帯電話で運転手を呼び出す。
「……あ、俺だ。さっき送って貰ったトコで悪ィけど、また迎えに来てくれねェか? ダチがちょっと調子悪ィんだ」
 さて。この巨体をどうするか、だな。腕をぐい、と引いてみる。俺には無理だな、運ぶのは。すぐ諦める。切り替えが早いのは、俺の長所の一つだ。しかし、何故か勝浦には不評である。しかし、勝浦がどう思おうと、とりあえず俺には関係ない。
 俺の名前は和泉駿[いずみしゅん]。中学三年生で、現在最後の追い込みだ。隣に倒れている巨体は勝浦忍、一つ年上で高校一年生。今年の三月まで同じ中学に通っていた。どういうわけか用が無い時も、俺にちょっかいかけてくる。容姿端麗、眉目秀麗、勉学以外は全て完璧な俺には、何故か他に友人が一人もいないので、唯一の友人という事になっている。もしかしたら売れっ子俳優である不肖の父、和泉[けい]の大ファンなのでそのせいかも知れない。全くもって気に食わないが、俺は顔だけは親父似だ。だが、演技以外に脳が無く──能の間違いではない──夕食にプリン特盛り(合計重量30kg強)を出すようなバカなのだ。あまりの酷さにその晩はプチ家出を決行したので、そのプリンがどうなったかは知らない。興味も無い。
 さて、運転手が来るまでの間、どうしたものか。少々手持ち無沙汰だ。と、その時、何やら騒ぎ声が聞こえてきた。なんとはなしに振り返ると、そこには絶世の美少女が、顔に不自由している男共に取り囲まれているのが見えた。
「!」
 考える間もなく、身体が動いていた。俺はフェミニストではないが、美人には優しくする事にしている。ちなみに彼女いない歴十五年、記録更新継続中だ。もしかしたら、その更新をストップさせる事が出来るかも知れないという下心は無いではないが、それはそれだ。美少女を虐めるような腐れ野郎はぶちのめす。良い運動にもなることだし。さっきのヤツはウォーミングアップってことで、最初から全開で行くぜッ!
 初っ端から派手なハイキック。茶髪男の顔面にぶち込んで、着地と同時に、逆の足を高く上げて連続ハイキック。着地寸前に腰をひねって、背後から襲いかかろうとする長髪グラサン男に肘鉄(みぞおち)、裏拳(顔面)を右左連続でぶち込む。正面懐へ飛び込もうとしたガン黒の顎に頭突き。両手を地面に着いて、両足同時キックでキメる。ちょっとでもタイミングがズレるとヒサンなことになるが、運動不足の割にはまァ良い出来だったと思う。
 さて、と振り返ると、びっくりした顔で先ほどの美少女が俺を見ていた。
「やぁ、怪我はありませんか? お嬢さん」
 ここぞとばかりに、爽やかに完璧な笑顔で微笑む。うるせェ、硬派な受験生の俺だって、出来る事なら彼女の一人や二人、欲しいんだよッ。
「あ……すみません、ありがとうございます」
 美少女はぺこりとお辞儀した。……ちょっと待て。女の子にしてはやけに低くてハスキーな声だな。いや、しかし、世の中には低い声の女の子もいるわけだし……。
「し……[しょう]!?」
 不意に、勝浦の声が聞こえた。その途端、美少女がパッと顔を明るくする。
「忍!」
 ちょ、ちょっと待て。呼び捨て?!
 焦る俺など知らぬげに、美少女は勝浦の元に駆け寄り、両手を首に回して抱きついた。
「だっ……なんでここにお前がいる!? さっき駅まで送り届けてやったはずだろ!」
 慌てたように勝浦が叫んだ。
 何だと。遅刻してきたと思ったら、美少女と逢い引きしてたのか!?
「だって忍、これからデートだって言うんだもの。相手の顔見たいと思うのは当然でしょ?」
 美少女は首を傾げて可愛く言った。
「バカか! お前、どうしても12時55分の特急に乗らないとダメだと嫌がる俺に送らせといて、何言ってやがる!!」
「だってこんな美人差し置いて、どんな相手なのかってすごく気になるじゃない。ボクと忍の間で、内緒事なんて、水くさいよ」
「だあっ! お前がそうやって根堀り葉堀り探り出そうとする性格だからに決まってるだろ!」
 美少女はちらと俺を見る。
「うーん、でも彼も結構良いセン言ってるよね?」
 その途端、勝浦は青くなる。
「ちょっと待て! 梢!! お前、何企んでる!? 言っとくけど、駿は関係ないぞ。巻き込んだりするな! 駿はお前と違ってそういうタイプじゃないんだ!!」
 慌てたように勝浦が叫ぶ。
「何二人で会話してんだよ。俺は無視か、邪魔者か?」
「そ、そんなわけないだろ! 俺が駿にそんな事するはずがないじゃないか!」
 何故か勝浦が焦ったように言う。
「それはどうでも良いけど」
 俺は美少女と勝浦をしげしげと見る。
「勝浦、彼女とはどういう関係だ?」
「……『彼女』?」
 不思議そうな顔で、勝浦は俺を見つめた。
「すっとぼけんじゃねェよ。それだけ親しげにしておいて。知り合いかって訊いてんだよ」
 いくら勝浦が女たらしでも、この美少女がヤツの恋人だなんてことは有り得ない。天使のようにつぶらな瞳。雪のように白い肌。色素の薄い軽くウェーブのかかった短めの髪が、光を浴びてきらきらと輝く。身長は162cmといったところ。儚げで愛らしく、無垢な笑顔がひどく眩しい。
「いや、駿、こいつは『彼女』ではなく……」
 すかさず脛に蹴りを入れる。
「誰がお前の『彼女』だって言ったよ! そうじゃなくてそのカワイイ子の事だよ!」
「え? ボク、カワイイ?」
 美少女はパッと笑みを浮かべた。全開の花束のような。可憐で眩しい笑顔。思わず目がくらむ。
「う、うん、すごく……カワイイ」
 ドキドキしながら俺は答えた。
「ふふふっ、嬉しい。ねぇ、忍。彼、ボクのことカワイイって。魅力的だってさ!」
「……誰も魅力的だとまでは言ってないだろ」
 嬉しそうに美少女が言い、忍が呆れたように言う。
 なんか悔しい。
「いや、魅力的だよ!」
 俺は半ばムキになって言いつのる。
「君ほど美しい人に、僕は今まで一度も会った事がない」
 そして、じっと見つめる。……女の子はこういうのに弱いハズだ。特に彼女のような可憐な美少女は。……ところが。
「やっだー、照れるなぁ。ボクそこまで褒められたの初めてだよ。ほらほら、忍! 忍もあれくらい言ってみなよ」
 ……ちょっと待て。だからなんでそっちに。
「あ? なんで俺がお前にそんな事言わなくちゃならないんだよ。サムいこと言うな。俺の好みはもっとシャイで純粋でちょっぴり乱暴で、時にワガママ(?)で愛らしい……」
「誰もお前の好みなんて訊いてねぇ!」
 げし、と勝浦の腹を蹴る。
「う……ひど……い……」
 勝浦は半泣きになって、しゃがみ込む。
「大丈夫!? 忍!!」
 美少女が慌ててかがみ込む。
「ひどい! 駿クン! どうしてこんなひどい事するの?」
 潤んだ瞳で言われて、思わず足下がふらついた。
「あ……ご、ごめん、俺、つい……」
「つい、じゃないでしょ!? 怪我でもしたらどうするんだよ!」
 噛み付くように怒鳴られ、ガァンとショックを受ける。
「う、その……配慮が足りませんでした。すみません」
 思わず低姿勢で謝ってしまう。美少女はふぅとため息をついた。
「判ればよろしい。……大丈夫? 忍」
 けほけほと咳き込みながら、勝浦は顔を上げる。
「やっぱりおかしいぞ、梢。お前、いつもとキャラが違……っ」
 その瞬間、また勝浦はひどく咳き込んだ。下腹部を押さえ悶えている。
「おい、何ふざけてんだよ、勝浦。俺はそんなにひどくした覚えはないぞ?」
 そう言うと、勝浦は恨めしげに俺と美少女を見上げた。
「…………」
「なんだよ、言いたい事があるのか?」
 すると勝浦はちらり、と隣の美少女を横目で見た。それに気付いて美少女はにっこり天使のように微笑んだ。
「君が、噂の和泉駿クンだね。忍がトコトンぞっこんベタ惚れだっていう」
「とことん、ぞっこん、ベタ惚れ?」
「わわわ! 突然何バカなこと言い出すんだ、梢! 嘘だから!! 全部嘘だから気にするなよ、駿!!」
「いや、別に気にはしないけど」
 焦る勝浦にそう言うと、何故か勝浦は悲しげな顔をした。
「一度、君に会ってみたいと思ってたんだよ、駿クン。会ってじっくり話をしてみたいなって。こんにちは、はじめまして。ボクの名前は里見梢[さとみしょう]
 にっこり笑って言う梢さんに、俺の心臓はバクバク飛び出しそうだ。間近で見ると、睫毛が長い。マッチ棒を乗せられそうなくらいだ。
「そ、そそそそれは光栄です。って、勝浦は俺を一体どういう風に……」
「この頃では珍しく素直で純粋で純朴だって。汚れを知らない天使のような少年だって」
「え、えええ? お、俺が天使?」
 勝浦何キショイ事言ってんだ。つうかでも、もしやまさか好意的? 好感度UP?
「こんなところじゃなんだから、どこか喫茶店にでも入らない?」
「はい、良いですね、喫茶店! ていうか君の行くところなら何処へでも!」
「駿、お前もいつもとキャラが違うぞ……」
 げっそりした顔で、勝浦が呟くが、無視だ、無視。
「んー、じゃぁ、この近くにボクのお気に入りの店があるんだ。そこでも良いかな?」
「オッケーです! 世界の果てまでだって着いて行きます!」
 俺はこくこく頷いた。

 というワケで喫茶店『午●の紅茶』。って大丈夫なのか? この名前。正確にはこう書いて『アフタヌーンティー』と読ませるらしい。が、常連客には『ゴゴティー』と略されるらしい。
「ボクはここのアッサムティーがお気に入りでね。ロイヤルミルクティーは香り豊かで、味はまろやか、最高だよ。茶葉が良いのは勿論だけど、使用している牛乳もまた良いんだよね。一度知ったらもう他では飲めないよ」
 ふふふ、と梢さんは魅力的に笑う。
「そ、そうなんですか」
「……なんでそんなに照れてるんだよ、駿。お前、まさか……」
 などと言う勝浦の足をテーブルの下でげしと踏む。黙り込む勝浦を尻目に、俺はにっこり笑いかけた。
「梢さんは、勝浦とどういうご関係なんですか?」
「ああ、家が近所でね。いわゆる幼馴染みという関係。あと、同じ高校に通っている同学年。実は幼稚園の頃からずっと一緒でね。でも、小学校の途中で忍が転校して、中学だけは違ったんだ」
 と、意味深に微笑んだ。
「ああ! 腐れ縁ってやつですね」
 俺が言うと、梢さんは苦笑した。
「そうなのかな。まあ、とりあえず、一度は離れたけど高校は忍がうちの学校を受験してきたからね。で、色々と仲良くしてるんだ」
「……そうですか。仲良いんですか」
 梢さんの言葉に俺はじろりと勝浦を睨んだ。勝浦は何故か泣きそうな目で俺を見ている。
「ところでさ、忍。もう帰って良いよ。ボクは駿クンと二人きりで話したいから」
 梢さんが言うと、勝浦はひどく慌てた。
「ふざけんな! お前みたいなやつと駿を二人きりになんかさせられるか!!」
「あ? ンだよ。てめェ邪魔だって言われてんだよ。ニブすぎだろ、おい」
 俺が言うと、勝浦は両目を潤ませた。
「な、んでそこまで言われなくちゃならないんだよ、駿」
「お前、本当ニブすぎ。そのくらい考えろよ。……ところで梢さん、俺と話したいってどんな事ですか? なんだったら、この男、今すぐ追い払いますけど」
「んー? まぁ、最悪忍がいても別に良いよ。いない方が良いけど、いたからって困るわけでもないし」
「そうなんですか?」
 意外な返答に、気が抜ける。……とすると何だろう。やはりここは、愛の告白、というやつではない、んだろうな、たぶん。残念だが。
 なんとなく腹立たしくなって、勝浦をじろりと睨む。勝浦は涙目だ。
「あのさ、駿クンって、俳優の和泉慧の息子さんなんだって?」
 その一言に、思わず俺は、勝浦を睨んだ。俺が何がイヤだって、この世であのクソ野郎[おやじ]と血縁関係にあるということだ。その事実も、それを知られることも。
「ち、違う。俺じゃない! 俺はバラしてな……っ」
 と勝浦は言いかけ、不意に息を止め、目を向いた。
「……は?」
 そのまま、勝浦は眠るように、崩れ込んだ。一体何なんだ。どうして急に寝るんだ?
 不思議に思って、勝浦の肩に手をかけようとしたら、梢さんが話し始める。
「忍ったらよっぽど疲れてるみたいだね。しばらく寝させてあげようよ。その間に、二人きりで話さない?」
 その天使のような微笑みに、俺は思わず見惚れてしまい、うっかり返事をし損ねる。
「ダメかな? 駿クン」
「いぇえ! 結構です」
 慌てて返事をしたら、声が裏返った。しまった。カッと頬が熱くなる。
「ふふっ、良かった。やだって言われたらどうしようかと思っちゃった」
 その愛らしい微笑みにドギマギしてしまう。まともに目が合わせられない。
「ははは、話って何ですか?」
「そう堅くならないでよ、駿クン。ちょっとした雑談なんだから。実はボクね、テレビや映画ってあんまり見ないものだから、和泉慧って俳優あんまり良く知らないんだよね。で、それでなくとも露出の少ない俳優でしょ? 確か、普段は劇場で主に仕事してるんだよね。インタビューとかもほとんど受けないみたいだし」
 和泉慧が露出が少なく、インタビューをほとんど受けない理由。俺はそれを良く知っている。あいつは底知れぬドアホウだからだ。事務所が打ち出している『俳優・和泉慧』の役を、台本無しにはほぼ皆無といっていいくらい演じきれないのだ。そのため、露出させたくても露出させられない。ボロが出るから、『和泉慧』は人前では喋らない。無口でクール、という設定になっている。中身は生クリームとメレンゲとゼラチンとグラニュー糖を大量に詰めたような、激甘激軽男だ。正統派王子様系美男の殻をかぶったスーパースペシャルボケ幼稚園児。それが『和泉慧』の正体だ。そして、勿論それは絶対に洩らしてはならない極秘事項。いくら俺でも自分の父親がそんなボケ野郎だと暴露したくない。俺とあいつは無関係だと思っていても、世間はそう見てはくれないからだ。
「で、確か今、その和泉慧の出演している映画があるんだよね? その映画のタイトル、教えてくれないかな? どうやって調べれば良いのかわからなくて」
 俺はほっとした。なんだ、そんな事か。
「ああ、『終着点』ってタイトルだよ。正確に言えば、『瀬尾恭平[せのおきょうへい]の事件簿4 終着点』。ミステリ作家、藤堂夏樹[とうどうなつき]の人気小説の映画化第四弾で完結編なんだ。だから、先の話を知らないと、見ても判らないかも知れない」
「そうなんだ?」
「うん。もし見たいなら、チケット何枚か持ってるから、あげるよ。ただ、手元にはなくて、家にあるんだけど」
「え、持ってるの? 駿クンはその映画、見たの?」
「いや。友達とでも見るようにってチケット貰ったけど、まだなんだ」
「え、それって貰っても良いの?」
「勿論だよ、梢さん。なんだったら一緒に見に行こうか?」
「え? 良いの?! 嬉しい!」
 梢さんの浮かべた満面の笑みに、どきりとする。
「あ、いや、こ、こちらこそ本当に良いの? お、俺と一緒で」
「良いよ! 良いに決まってるじゃない!! 駿クンと二人で映画見られるなんて最高じゃない?」
 え? そうなんだ? 嬉しいけど、なんだか釈然としないものも感じつつ、俺は頷いた。
「あ、ぁあァ、そ、そしたら、ぇえと、い、いつが都合良い? 俺は暇だから、梢さんの都合の良い日に合わせるよ」
「え? そっちこそ良いの? だって受験生でしょ?」
「いえ、良いんです。どうせ勉強してもしなくても同じだし、梢さんのためなら、例え火の中水の中、何処へだって出向きます!」
「ふふふ、駿クンって面白い事言うね。わかった。じゃあ、お言葉に甘えて明日、一時か二時くらいにでもどうかな? それとももっと早くにして、お昼ご飯一緒に食べる?」
 梢さんとランチ。良いかもしんない。
「はい! 喜んで!! あ、あのお昼一緒でも良いんですか?」
「んー、どうせ一人だし。一緒に食べられるんならそっちの方が良いかなって」
「え? 梢さん、一人暮らしなんですか?」
「ううん。実は母親と二人暮らしなんだけど、今、ちょっと長期旅行中で。だから、冬休み中は祖父母の家で過ごすように言われてたんだけど、あっちに行ってもする事なくて。で、味気ないしつまんない思いするなら、こっちで一人でもそう変わらないんじゃないかなって思ったんだ。でもまぁ、駿クンのおかげで楽しくなりそうだし」
「え? 本当ですか?」
「うん。一人淋しいクリスマスイブって事にはならなさそうだし。それってすっごくラッキーだよね?」
 梢さんとクリスマスイブ。……神様ありがとう! 彼女イナイ歴十五年の歴史よグッバイ! ウェルカム、俺の明るい未来!
「あ、そうだ! DVDも持ってるんだけど」
 どうでも良いから戸棚の中に放り込んであるけど、探せばちゃんと見つかるはずだ。
「え、じゃあ、お借りしても良いかな?」
 ブラボゥ! ちょっとだけ感謝してやるぜ、『和泉慧』。いつもは俺の不幸の種で災厄の元だが、今日と明日だけは許してやる。夕飯にシュークリームやプリンを山盛りにされても、今日だけは蹴り一つで勘弁してやるよ、クソ親父!
 まさに春。十五年目に来た初めての春。受験勉強なんてクソ食らえだ。入学試験もどうでも良い。ああ、恋って素晴らしい。こんなに人に寛容になれる日が来るなんて。いつもは終始つきまとわれる苛立ちも焦燥もキレイに消え失せ、空は明るく快晴だ。あぁ、青空が素晴らしくキレイだ。世界が輝いて見える。いつもは憎たらしい勝浦の寝顔も無邪気に見えてくるから不思議だ。
「ぇえと、じゃぁ、俺の家、来る?」
 確かお邪魔虫[オヤジ]はクリスマス公演の舞台の仕事で外出中。午前の部は終わっているが、午後の部の前のリハーサルや何やらで忙しいはずだ。まかり間違っても途中で帰って来ることはまず無いだろう。知能犯、俺。いや、別にだからってヤらしいことするわけじゃねェけど。エロ変態勝浦じゃねェし、な。女と見れば寝ることしか考えないようなヤツとは違う。俺は、梢さんとの愛を、静かに優しく育てるんだ。そして……!
 うぅ、危うく鼻血出すところだった。いかん、いかん。梢さんに変態と間違われてしまう。
「どうしようかな? お邪魔しても良いの? 急だけど良いのかな?」
 良いに、決まってるじゃないか! 梢!! ……あ、呼び捨てにしちゃった。
「良いですよ。大歓迎だ。あ、でも梢さんのご都合はどうなんでしょう」
「ボクの予定は大丈夫。全部キャンセルしちゃったから」
 あ、じゃ、お泊まりも……ってそういうワケに行くか! いくら公演があるからと言っても、遅くとも十時には帰ってくる。生のアレを見せたら、映画の予定はキャンセルされてしまう。
「あ、じゃぁ、い、行きますか?」
「うん、忍はまだ寝てるけど仕方ないよね。じゃあ、行こうか」
 二人で立ち上がる。
「あ、梢さん。会計するから先に出て待っててくれますか?」
「え? いや、ボクが払うよ。ボクが誘ったんだから」
「いいえ、ここは奢らせて下さい。出会えた奇跡に乾杯って事で」
 梢さんは一瞬目を丸くしたが、苦笑するように笑い、頷いた。
「わかったよ。じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ。じゃあ、待ってて下さい」
 梢さんが外に出たのを確認して、俺はレジへ行く。
「すみません、この伝票なんですけど」
 俺は言った。
「あそこで寝てるヤツが後で全額払うんで、お願いします」
「了承いたしました」
 店員が頭を下げた。……これでよし、と。一応念のため財布の中身を確認する。残金二百六十円。コーヒー代一杯にもなりゃしない。しかし、男の面目は保たれた。勝浦は、俺の財布係だ。ずっと以前からそういう事になっている。あばよ、財布係。後は頼んだ。俺は店を後にした。

 梢さんと自宅マンションで二人きり、と思ったら、梢さんは家についた途端「実は用事ができたんだ」と言い出し、DVDを貸すと、さっさと帰ってしまった。ガァアン。もしや、俺の下心がバレたんだろうか、と思ったが、梢さんが気分を害したような風はなかった。一人でいる時に、電話でもかかってきたのかも知れない。慌立たしく携帯番号とメアドを交換して、別れた。
 とても残念だ。しかし、明日には梢さんに会える。それだけで俺はハッピーだ。生まれてこの方こんなに幸せだったことはない。親父が未婚のまま亡くなったお袋に俺を生ませて以来のハッピーだ。ちなみにお袋が亡くなった時、親父は高校中退の十七歳で、やはり今と同じ俳優(ただし全く売れない)だった。お袋は、と言えば、写真一枚きりしかないが、あまり売れてない広告モデルだったらしい。その前後に親父は家出し勘当されていたので、俺はその他の身内の存在すらも全く知らない。親父も全く話さない。ボケボケしてるくせに、意外とガードが堅い。家の中には、そういったものを思わせる痕跡も一切無い。事務所やマネージャーも教えてくれない。酷い話だ。でもまァ、アレが俺の父親だという事の他には、現在の生活には概ね満足しているので、父方・母方の祖父母の存在などどうでも良いが。元々そういったものには、興味は無いし。
 一人で夕食を取り、ぼうっと時間を過ごしていたら、不幸の元凶が帰ってきた。
「ああ! 駿クン! 良いところにいた!!」
 こいつ、バカじゃねェの?と時折思う。ここは仮にも俺の自宅なんだから、俺がいるのは別にそう不思議でも何でもないだろうに。それとも俺がプチ家出決行中じゃないと言いたいのか?
 そう言えば、今朝、朝食だと言って生クリームとカスタードクリームとクロテッドクリームとチョコレートソースをイヤというほどどっぷりかけたシュークリームを大皿一杯に盛られて出されたため、家を飛びだし、勝浦との約束まで、時間を潰してから帰宅したような気もする。だが、俺は基本的に過去のことは忘れる事にしている。じゃないと脳神経がいくつあっても足りないからだ。昨夜も一人で飯を食い、ほとんど顔を合わさなかった。
「あのね、大ニュースなんだ! 大告白なんだよ、聞いて!!」
 俺は至極イヤな予感がした。
「は?」
「君にお母さんが出来るんだよ。結婚するんだ。とっても美人でね、ついでに、お兄さんまで出来ちゃうんだ! すっごいだろ!?」
 …………は?
 俺はあまりの事に呆然と、親父を見上げた。満面の笑みで、尻尾があったら嬉しげに振っているだろう有様で、喜ばずにはいられないとでも言いたげに、目を輝かせていた。
「…………まさか」
 俺はぽつりと呟いた。
「……それを俺に祝福しろとでも言うんじゃ、ないだろう、な?」
 目に力を込めて、睨み上げる。しかし、親父は気にした風もなく、こくこくと頷く。
「そうなんだよ! 駿クンも嬉しいだろ? 大感激だろ? いつも口には出さないけど、お母さんや兄弟が欲しいと思ってただろ? お母さんが出来れば君は家事から解放されるし、おいしいご飯も食べられる。年頃の子のような事だってなんだって出来る。素敵なお母さんどころか、素敵なお兄さんも出来て一人で留守番することもなく、楽しく明るく万々歳だ!」
「……あんたがどうしてそんなに明るく脳天気でいられるのか、俺にはちっとも判らねェんだがな?」
 俺は声を低めて言った。
「どういう理屈で、それを俺が喜ぶと思っているのか、それを是非聞かせてもらいたいもんだ」
「ええ? だって嬉しいでしょ? 駿クン、恥ずかしがり屋で照れ屋さんで頑張り屋さんだからちっとも口には出さないけど、淋しがり屋で甘えたサンでしょ? 一挙に二人も家族が出来たら、もう感激で感動で涙ウルウルきちゃって、最高にハッピー・ウェルカム・ビバ・ニュー・ライフ!だよね?」
「……一つ言おう」
 抑えた声音で俺は言った。
「てめェのドグサレ脳味噌と理屈で、適当勝手に決めんじゃねェ!! このすっとこどっこい!! お調子者!! 脳みそプーのアホッタレ!! 一度死んで頭の中身を治してみやがれ!!」
 大絶叫した。

 教訓。アホとバカは死んでも治らない。ちょっとでも許せるかもと思った俺が、間違いだった。バカだった。学習能力なさすぎだ。あのバカっぷりには歯止めが利かない。バカはどんどん暴走する。再婚だと? 再婚そのものが悪いとは言わない。俺に関係のない、俺の知らないところで、俺が関知せずとも良い場所でなら、何処で何をしようが、俺に迷惑かからない限りはどうだって良い。俺には関係ないし、関係したくもない。家族が二人出来るだと? なんで俺がそれを喜ぶって? 今でさえ、親父一人で手一杯なのに、何処のバカ女を拾ったのか(それとも捕まったのか)知らないが、どうせ金目当てだ。まともな神経の女が、あんなバカな男を本気で好きになるとは思えない。死んでも絶対治らない、超絶ド級の大バカ野郎。畜生、俺の頭痛の種ばかり増やしやがって。俺になんか恨みでもあるのかってんだよ、クソ親父。
 というわけで通算二千七百三十六回目のプチ家出を決行。しかし、梢さんとのデートの約束があるため、睡眠はきちんと取らないと激ヤバだ。チケットは一応持っていたのが幸いだが、今一番ヤバイのは財布の中の残金だ。補充をしていないので、二百六十円のままである。こういう時は財布係を呼ぶしか無い。
 勝浦忍の携帯電話をコールする。
[駿か?! 駿なのか!?]
「おう、俺だ。金が無いから貸してくれ。あと、寝る場所も」
[ぁあぁ……生きててくれたんだな……良かった、殺されたかと思った。でなきゃ半殺しとか]
「……何を物騒な事言ってるんだ? なんで俺がそんな目に遭わなきゃなんねェんだよ」
 ぼやくと、慌てた口調で勝浦が言った。
[今、一体、何処にいる? すぐ迎えに行くからその場で動かず待っててくれ]
「駅前にいる。けど、サテンかどっか入ってて良い? 俺、今所持金二百円しかねェんだけど」
[判った、奢る。だから待っててくれ]
「じゃあ、駅の向かいのサテンで待ってる。すぐ来いよ?」
[判ってる。じゃあ、また、後で]
 焦った口調で通話が切れる。……一体何なんだ? 良く判らねェ。ま、別にどうだって良いけど。俺はサテンに入ってココアを頼む。苛々してる時は、甘いココアを飲むのが習慣だ。生クリームは入ってない方が好きだ。生クリームはイヤな思い出ばかりを彷彿とさせるから。本来俺は、甘い物が大の苦手だ。コーヒー・紅茶に砂糖は入れない。グラニュー糖なんて見るのもイヤだ。天敵だ。
 五分と立たずに、勝浦が現れた。注文の品はまだ来ない。
「随分と早かったな」
「ああ、近くにいたからな」
 と、安心したように、勝浦は微笑んだ。
「目覚めたら、お前と梢がいないから焦ったよ。何処かに拉致されたかと思った」
「俺がそんな事するワケねェだろ」
「いや、お前がじゃなくて、梢がお前を拉致ったかと……」
「なんで俺が梢さんに拉致られなきゃならねェんだよ」
 俺が唇をとがらせると、困ったように勝浦は額を掻いた。
「う……ん、梢のあの外見だけ見る限りでは、きっと想像もしないんだろうけど」
 勝浦は困った口調でもごもごと言う。
「あいつ、ああ見えて結構ヤバいんだよ。うちの学校では『奥』の『姫』って呼ばれて恐れられてるんだ」
「『奥』の『姫』?」
 なんて素敵な響きだろう。梢さんにぴったりだ。彼女こそ姫の称号にふさわしい人はいない。
「それで『奥』ってのはだな、まあ昔風に言うと裏番というか、不良というか、それっぽい集団で、それよりはまあもうちょい知的で厄介な連中だ。表向きの権力はないが、裏で学園を牛耳っていて、それのボスが梢なんだ」
 ……ああ、[プリンセス]。願わくば俺も、彼女を守る騎士[ナイト]になりたい……。
「ってお〜い、もしもし? 聞いてる? 人の話」
 勝浦の声で現実に引き戻される。
「聞いてるよ。梢さんは『奥』の『姫』って呼ばれてるんだろ?」
「その通りだ。そして、その呼び名を梢の前で口にした途端、相手は即、地獄行きだ。あいつは自分を女扱いされるのを死ぬほど嫌っているからな。死なないまでも、それに近い、いや場合によっては死んだ方がマシという目に遭わされる。とても危険なやつなんだ」
「おい、何言ってるんだ。梢さんがそんな危険人物なワケねェだろ?」
「俺はお前のためを思って言ってるんだ、駿。手遅れになる前に、梢から逃げろ。俺がなんとかしてやる。俺が言ったからって、必ずしもあいつが言うこと聞くとは限らないが、あいつにだって弱点はあるからな。そこを突いてやれば、どうにかなる」
「……何だと? お前、梢さんに危害を加える気か?」
「何言ってるんだ。危害を加えられるのは、お前の方だ。今はまだ大丈夫でも、そのうちきっと、何かする。そもそも、何の目的もなく、あいつが他人にちょっかい出すなんて有り得ない」
「良い加減にしろよ! お前一体何様だと思ってるんだ! 梢さんを悪く言うな! なんだよ、お前。俺が彼女に興味があるからって、邪魔しようってのか? そりゃ梢さんはものすごい美人だからな。だが、お前の思惑通りには行かないぞ!」
「それだ、駿。その誤解も解かなくちゃと思ってたんだ。良いか、落ち着いて良く聞け。あのな、梢は……」
「聞きたくない! お前がそんなヤツだとは思わなかった!! そんな卑怯な手段を使ってもライバルを蹴落としたいって言うのか?! お前がそんな了見の狭いヤツだとは初めて知ったよ!! 俺の初めての親友だと思ってたのに!! お前みたいな薄情で酷いヤツ、他に知らねェよッ!!」
「……しゅ、駿……?」
 呆然としたように、勝浦は俺を見つめた。がたん、と俺は立ち上がる。
「もう良い。お前なんか知らない! もう二度と電話かけて来るな! メールもするなよ!! 速攻アドレスから消してやる。お前とは絶交だ! 死んでも連絡するなよ!!」
 怒鳴りつけて、店の入り口へと向かう。
「待てよ、金無いんだろ? 貸さなくても大丈夫なのか?」
「おかげさまで、世の中便利になったんでね。夜中でもコンビニで金下ろせるんだよ。手数料取られるけどな! ココアはお前が飲んどけ。呼び出して悪かったな。じゃあな、さよなら」
「……待っ……駿!」
 背後から、腕を掴まれる。反射的にそれを払い退け、蹴りを放つ。が、寸前で払われた。勝浦は身構えてすらいない。右手は額の上に、左手は腰に乗っている。
「あのな、駿」
 何だかバカにされたみたいでカッとする。
「俺に構うな!」
 一喝して、その場を後にする。苛々していた。昼間の幸せな気分が嘘のようだ。宣言通り、コンビニで金を下ろして、個室有りの漫画喫茶へ入った。時間を潰すのには一番良い。値段も手頃だ。リクライニングシートを選んで、個室へ入った。……苛々している時は寝るに限る。携帯電話のアラームをセットして、速攻寝る。時折、モーニングコールサービス(あるいは朝食予約サービス)があれば便利なのに、と思う。ホテルは色々面倒臭い。ラブホへ一人は入りづらい。カプセルホテルはショボくてイヤだ。カラオケボックスはうるさい。まんが喫茶もうるさい時はうるさいが、ヘッドホンして寝る。気休めだが、無いよりマシだ。店員にちょっかいかけられないのも利点の一つだ。ちなみに俺は漫画喫茶で漫画を読んだ事は一度も無い。読みたいとも思わない。そもそも俺は、漫画に興味が無いのだ。テレビや映画、勿論舞台も興味が無い。あえて趣味を一つ上げろと言われたら、寝ることかも知れない。夢も見ずに寝ること。ぐっすり朝まで。

 翌朝。六時のアラームで目が覚めた。が、何もする事が無い。どうしたものか、と思う。案の定というか、着信拒否にしていなかったので、勝浦と親父からのメールと着信履歴が延々と入っている。確認するのも面倒なので消して行く途中で、梢さんのメールを見つけた。
『学校へ行くのはやめました(^_^; 駿クンはもう春休み中だよね? 会えるかな?』
 会うに決まってる!
 急いでメールを返信した。送ってしまってから、朝早い事に気付いて動揺する。まだ寝ていたらどうしよう。しかし、すぐ返信が届いた。
『やった\(^^)/ 嬉しい♥ 何処で待ち合わせする?』
 何処でも良い、と打ちかけて、やめて駅前のファーストフードにする。
『了解(^^)/ 一緒に朝ごはん食べようね♥』
 俺は足取り軽く、漫画喫茶を後にした。店の前で待っていると、バイクが一台颯爽と現れる。バイクスーツを纏った痩身。ふわりと軽い動作で地面に降り立ち、ヘルメット脱ぐ仕草に、思わず目を奪われた。
「……梢さん?!」
「やあ、おはよう。昨夜は良く眠れた? 駿クン」
 意外だった。バイクに乗って来るなんて。ああ、でも、素敵だ。それすらも絵になる。こんなに絵になる人を見たのは初めてだ。
「待った?」
「いいえ。ちっとも! 今、来たところです」
「そう? それにしても駿クン、朝早いね」
「梢さんこそ。こんなに早く来るとは思いませんでした!」
「ん、そうだね。駅のコインロッカーで着替えて行こうかと思ってたから」
「き、着替えるんですか? コインロッカーで?」
 ドクン、と心臓が脈打った。思わず生唾を飲み込んでしまう。
「大丈夫。パパッと着替えるから平気だよ」
「い、いや、コココインロッカーはま、マズイですよ」
 想像したら、鼻血吹きそうだ。でも、ダメだ。見たいけど、見せたくない。
「そう? 別に平気だと思うけど」
「ぃいいいや、まままマズイですって! マジで!!」
「そう? そんなに言うならやめておくよ。じゃ、駐輪場へ停めてくるから、先入って待っててくれる?」
「あ、はい! 判りました!!」
 答えながらぼんやり思う。二人きりでこんな朝っぱらから一緒に食事するなんて、まるで朝帰りの恋人同士か新婚夫婦みたいだよなぁ。ぁああ、夢みたいだ……。幸せ。俺の人生でここまで幸福だった事ってあっただろうか? いや、無い。
 二人で甘く暖かな朝食を取ると、食後のコーヒーを飲みながら、雑談になる。
「DVD、ありがとう。とても面白かったよ。原作は読んだ事ないけど、すごく緊迫感があって、良かった。途中でのめり込んで見ちゃったよ。主人公の瀬尾と、元親友で強敵の生島透[いくしまとおる]演じる時浦陵[ときうらりょう]の撃ち合いのシーンなんて、すごくドキドキした。第二のヒロイン佑子[ゆうこ]役の女優片岡有紀[かたおかゆき]も良い味出してるよね。片岡有紀ってずっと演技下手なんだと思ってたんだけど、そうでもないなって思っちゃった。あれはハマリ役だね。死んだ恋人[ゆき]役の演技派女優・不動[ふどう]英理子[えりこ]を食っちゃってるもん」
 と、楽しそうに感想を述べられる。
「それは良かった。貸した甲斐があったよ」
 正直言って、映画の内容にはまるで興味のない俺は、曖昧に笑う。
「実は一番早い上映で九時二十分なんだよね。それで、その間の時間どうしようかって話なんだけど」
「梢さんは何処か行きたい場所ある?」
「ん、駿クンが問題ないなら、うちへ来ないかなって。どうかな?」
「……え?」
 どきん、とした。
 ま、まさか。うちってもしや、自宅ってこと? 梢さんの?
「え? ぇえぇ? 良いの? お宅にお邪魔しても!」
「うん、いいよ。全然平気。うち今、ちょっと散らかってて、駿クンの住んでるマンションに比べたら狭いけど。駿クンこそ、良い?」
「良い! 良いです! 是非お邪魔させていただきます!」
 梢さんと二人きり。梢さんの自宅で二人きり……いかん、また頭に血が上ってしまった。ドキドキする。
「じゃ、うちへおいでよ」
 梢さんはにっこり笑った。

 梢さんの自宅はそこからバイクを飛ばして二十分弱の距離にある、こぢんまりとしたアパートだった。
「狭くて古くて恥ずかしいんだけど」
 と、梢さんは顔を赤らめたが、俺は全然気にしなかった。
「そんなこと無いですよ! キレイでオシャレです」
 正直アパートなんて目に入らなかった。俺の目に映っているのは、恥ずかしそうな顔した梢さんだけ。ああ、恋って、愛って、素晴らしい。
「じゃあ、ここなんだけど」
 促されて一緒に入る。
「お邪魔します」
 一応声をかけて靴を脱ぐ。
「あら、お帰りなさい」
 そこへ美人が現れる。俺は驚き、思わず凝視してしまう。二十代前半くらいに見える。確か梢さんは母親と二人暮らしと言っていたはずだが、まさかこの妙齢の女性が母親のハズは……。
「あ、母さん。帰ってたの? おかえり。駿クン、紹介するよ。これ、ボクの母親。若作りで年齢不詳だけど、気にしないで」
「初めまして、梢の母です」
 ……え!?
 頭を下げられ、慌てて頭を下げる。
「は、はじめまして! ぃいい、和泉駿です! ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします!!」
「……いずみ、しゅん、クン?」
 俺が名乗ると、何故か梢さんの母親は、大きく目を見開いた。
「なんだ、母さんが帰って来てるなら、もう少し外で遊んでくるんだった」
 梢さんが言うと、梢さんの母親は困ったように苦笑した。
「やぁね、梢ちゃんったら。不良みたいな事ばかり言って。ところで、彼、いずみしゅんクンってもしかして……」
「うん、まあ。それはともかく、二人で映画見る約束してるんだ。ほら、『終着点』」
「ああ、和泉慧さんの? それより、いつの間にこんな……」
「駿クン、母親がうるさいから、やっぱり外へ行こうか。ゆっくり二人で話したいでしょ?」
 梢さんが言った。
「え? でも、良いの? その……」
「良いんだよ。そういうわけで、母さん、帰ってきたばかりだけど、出掛けて来る」
「ねぇ、梢ちゃん? おばあちゃんの家には行かなかったの?」
「ああ、あれ、やめたよ。ばあちゃんは良いけど、どうせじいさんがうるさいし。あの小言聞くくらいなら、一人で留守番の方が良いと思って」
「そんな事ばかり言って。ちゃんと仲良くしなきゃダメよ?」
「できるものならね。じゃあ、行ってきます」
「今夜は用事があるから、遅くならないようにね」
「わかってる。ああ、先方にも言っておいて。ちゃんと夜には行くって。たぶんきっと、安心するだろうから」
「わかったわ。あなたに任せておけば、たいていのことは問題ないものね」
「そういうこと。じゃ、また後で。……待たせたね、駿クン。さ、行こうか」
 俺達は梢さんのアパートを後にした。

 映画へ行くまでの時間、俺と梢さんはゲーセンやカラオケボックスで時間を潰して(俺には少々退屈だったが、惚れた弱味だ)映画を見た。その後も遊園地へ行ったり、アイスを食べたり、楽しく過ごした──そして。
「もう五時になっちゃったね」
 ふふ、と梢さんは笑った。
「あのね、これから外食する予定なんだけど、一緒にどうかな?」
「え、俺と? でも、何か予定があったんじゃ……」
「大丈夫、駿クンも一緒で良いよ。問題ない。むしろその方が良いんだ」
「え……どういう意味?」
 聞き返すと、梢さんはにっこり天使のように微笑んだ。
「食事は人数が多い方が楽しいでしょ? 折角のクリスマスイブだもの。一緒に食事しようよ」
「……梢さん……」
 俺はとろけそうな気分になる。ああ、俺は今、生まれて初めて誘われている。こんなに積極的に誘われたのは初めてだ。今なら、世界全てを愛していると叫べる。梢さんのためなら、何を捨てても失っても良い。こんな充足した幸せな気分は初めてだ。今の俺は絶好調。梢さんが望むなら、空だって軽々飛べそうだ。
 だが、しかし。
「…………!?」
 連れて行かれたホテルのレストランで、あまりにも良く知った、イヤになるほど知りすぎた男の顔を見つけて、呆然とする。
「お……オヤジ?」
 そこには満面の笑みを浮かべた親父がいた。
「判ってくれたんだね! 駿クン!! これで二人の仲を、結婚を認めてくれるんだね?! 僕達を祝福してくれるんだね!! 嬉しいよっ!! 愛してるっ! 駿クン!!」
 抱きついて来ようとする親父を、反射的にグーで殴った。駆け寄ろうとした親父は床に突っ伏す。俺はおそるおそる梢さんを振り返った。
「というわけで初めまして。君の『兄貴』になる予定の、里見梢です」
「うそだぁあああぁぁぁっっ!!」

 友人の真剣な忠告というものは、聞いておくべきである。良く考えてみれば、勝浦忍が通っている高校は──男子校、だったのだ。

[完]

 




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