** 澄んだ夜空で星を数える ** 砂河 永力



 数日続いた雨の後、久しぶりに晴れた夜空には、無数の星が輝いている。
 少し欠けた月と瞬き光る星の間で、キラリと光った流れ星に、芹沢星夜は慌てて手を合わせた。
(どうか、俺を助けてください……!)
 ぎゅっと目を閉じて、心の中で素早く三度繰り返した。再び見上げた夜空には流れ星のしっぽも残っていなかった。
 星夜は大きく深呼吸をする。
 真っ暗な大空の下で、小さな自分の身体を星たちのパワーで充電する。明日を生き抜くための電池が星夜には必要だった。


 中等部から黒猫学園にいる星夜は、二年前までは平穏な日々を送っていた。
 小さくておとなしい…それがクラスメイトたちの星夜の印象だ。滅多に発言もしない、目立たない、静かな、ただのクラスメイトとして認識されていた。
 小さな身体で下を向いて歩く。父譲りの童顔は、いつも丸い眼鏡と垂れた前髪でしっかりと隠れていた。
 それが激変したのは一年前からだ。
「お前、芹沢疾風サンの従弟だって?」
 今まで話したことない級友や同級生、先輩や後輩までもが星夜のことを呼び止めるようになった。
「ちっとも似てないんだな……」
 そう言われることも少なくない。
 星夜の従兄、芹沢疾風は美しい。
 いつも毅然とし、日本人形のような美貌で辛辣な言葉で攻撃する。颯爽と歩き、周りを意のままに操る彼を、星夜は身内の欲目を除いても感嘆の目で見ていた。
「星夜は俺の弟みたいなもんだからな」
 疾風に貰ったお下がりの服も、星夜が着ると野暮ったく見えるのはなぜだろう。
「星夜も疾風くんを見習って……」
 悪気なく言う母の声が心に重い。
 疾風は星夜の対極であり、憧れであり、コンプレックスであった。
 どんなに頑張っても、星夜は疾風にはなれない。それを承知しつつも、周囲の期待に応えられない自分がイヤだった。
 だから、辛い気持ちが心を覆った夜は、澄んだ夜空で星を数えるのだ。
 一つ一つを指で差して、真夜中過ぎまで宙を見上げると、悩みがちっぽけなような気がして……。



 星夜は気が弱い。
 疾風への橋渡しを頼まれた手紙やプレゼントを両腕に抱え、右往左往を繰り返す。
 絶対に受取らないと言っている従兄を、納得させる材料も話術もなく、押し付けようとする連中を撥ね付ける度胸もない。
「明日、全部返さなきゃ……」
 溜め息一つついて、星夜は机に置いたままのノートを見つめる。購買部で売っている地味な大学ノートだ。
 星夜は椅子に座り、ゆっくりとノートを開いた。男らしい伸びやかな文字が目に飛び込んでくる。

『六月一七日
 この街の夜は明るい。
 明るくて星が良く見えない。
 俺の田舎は街灯なんてなかったけど、空には数え切れないほどの星があった。
 月すらこっちよりは大きく見える。
 あんたの顔を初めて見た時、俺にはあんたが夜の精霊に思えた。
                押切興一』


 星夜はペンを取る。
 ノートを捲り、白いページに小さな字を並べ出した。

『六月二十日
 久しぶりの天気でした。
 見上げた夜空には沢山の星がありました。君の故郷の空、見てみたいです。
 大きな月を見てみたいです。
                芹沢疾風』

 ノートの中で、星夜は疾風になる。
 一ヶ月前から始めた「交換日記」で、星夜は疾風になり代って文字を綴り始めた。



 押切興一は、噂に疎い星夜でも知っている有名人だった。
 高校一年にして一八0を超える身長で、日本刀のような眼光鋭いスポーツ特待生は、二枚目であるにも関わらず「山隠りした武術の達人」「仙人に育てられた」「虎を素手で倒した猛者」という吹聴のせいで、同級生はおろか上級生にも恐れられていた。
 中には笑うしかない噂もあったが、当の本人が弁解もせず黙々と鍛練しているとあって、学園の多くの人が噂とそう遠くない存在だろうと認めていた。
 勿論、星夜はそれを鵜呑みにしていた訳ではない。ただ、一六0センチにも満たない星夜にとって、押切の体躯は威圧的で、理由もなく怯えてしまうのだ。
 だから、彼が疾風に交換日記を求め(今の世の中でメールでなく)、頭を深々と下げて頼む姿に星夜は断れないままノートを受取ってしまったのだ。
 勘のいい疾風は、星夜が胸に抱えたノートになにかを察知したのか、口を開く間もなく首を横に振った。そんな従兄のハッキリとした拒絶の後で、秘密裏に押切の机に返しておけば良かったのだが……。
(こっ、殺されるかも……)
 押切が怖いと思い込み、その場しのぎについた嘘。ページを綴る度に罪悪感は増し、今や「大きな秘密」へと変貌していた。痛む心はもう二ヶ月も続いている。
 空手は粗野と決めつけていた星夜だったが、押切はびっくりするほど達筆で、普段の寡黙な姿から想像だにしない優しい情感に溢れる人だった。
(いつまで続けられるのかな……)
 最近ではそう思わない日はない。
 怜悧な刃物を彷佛させる彼の中に、星夜と同じ夜空を愛でる心があるなんて。
 飾り気のない言葉や文字に、星夜の心はきゅうっと締め付けられる。
もっともっと彼を知りたくて、こっそり道場を覗いたこともある。廊下ですれ違う度にドキドキして、大きな背中が見えなくなるまで見つめたこともあった。
 存在を感じるだけで嬉しくて、奥手の星夜にも、それが特別な感情だと知るのに時間はいらなかった。
「どうしよう……。俺、押切のことが好きになっちっゃたんだ……」
 押切が好きなのは疾風で、日記を書いているのも疾風と信じている。
あの真直ぐな瞳は決して星夜を写すことはない。ましてや日記を渡さずに読み、身代りで書いていたと知れたら、実直な彼は星夜を嫌悪するだろう。
 クッ…と胸に棘が刺さる。
 恋がこんなに自分勝手で、切なくて、心が痛いものだとは知らなかった。
 一五の初夏、これが星夜の初恋だった。



 星夜はどこまでも世俗に疎かった。
 一緒にいる林信孝も「変人」の部類に属しており、休み時間となれば二人して黙って読書し、空想に耽っている有り様。
 二人にニュースが届く頃には、全校生徒はおろか、教職員の総ても既知の後だ。
「芹沢疾風が野球部の緒方先輩とグラウンドでキスしたってよ!」
 一日にして学園を駆け巡った噂は、クラスメイトの大きな声で星夜に届いた。
「緒方ってキャッチャーの? マジで?
 あの二人って付き合っちゃってんの?」
「知るかよ。でもあの疾風先輩だぜ? 黙ってベロチューされるタマじゃねーべ」
「おい、小沢は見てたんだろ?」
 野球部員である小沢は気まずそうな顔をあげる。「多分、付き合っていると思う」と、頬を赤らめて答えた。疾風の艶やかな姿に未だあてられたままだ。
「あ〜あ。決定的かよ……」
 ゲイ要素のない男もちょっとはある奴も、気概ある美人の陥落に肩を落とした。
(疾風兄さんが………?)
 あんなに「ホモなんて気持ち悪い」と言っていた疾風が公衆の面前でキスをした?
「まさか……」
 小さな顔を真っ青にさせて、星夜は読んでいた文庫本を力なく机に倒した。
「泣くのか?」
 林に言われて慌てて文庫を持ち直す。
「そんなことない」
 声は頼りないし、手も震えていたが、林はなにも言わずに視線を活字に戻した。
「ちょっと感動しただけ……」
 言い訳するにはきつい、お堅い哲学書は小さく揺れ続いていた。
(どうしよう……もうダメだ………)
 自分が知ったほどなのだ。きっともう押切の耳に入っているに違いない。いつかはばれると覚悟してたけれど、まさかこんな形で終わりが訪れるとは…。



「疾風兄さん、男の人と付き合っているって本当なの?」
 意を決して疾風に問う。星夜の勉強を見に来た疾風は、唐突な従弟の質問に一瞬目を丸くする。
「あっ、えーと……星夜?」
 奥手で気弱な星夜にしては前置きもない突っ込んだ問いだった。思わず疾風の言葉が喉に詰まる。
「グラウンドでキスしたって。野球部の人と…。本当なの?」
 身体の小ささもあってか、いつまでも子供だと信じて疑わなかった星夜を、疾風はまじまじと見つめた。眼鏡の奥の瞳の真剣さに、さしもの疾風も腹を括る。
「…本当だ。付き合ってるかどうかは微妙だけど、アイツはかなり俺が好きだし、俺も吝かでないと思っている」
 白い頬にさっと紅がさす。どこか照れたような仕種に疾風の本気が見隠れした。
「本当の本当? その人、疾風兄さんのこと解ってくれる? 優しいの?」
 尚も食い付く星夜に、疾風はつい本心を漏らしてしまう。緒方ですら知らない疾風の本音だ。
「打たれ強いって言うかさ、懲りないって言うか…。ほら、アニメとかでよくいるだろ。デカいくせに気のいい熊。そんな感じな奴。どっか可愛いんだよな」
 照れ隠しに紅茶を飲み干し、クッキーまでも頬張る従兄。
「そっか、いい人なんだね……」
 花が綻んだような、柔和な従兄の表情を複雑な気持ちで見る。不満と安堵が綯い交ぜになった星夜の気持ち。
「なんだよ星夜……あ、まさかお前、誰か好きな奴できたとか?」
 会話の内容から考えて異性ではあるまいと、疾風は身を乗り出した。打って代った強気な顔だ。
「ちっ、違うよ! そんなんじゃないよ! ただ、疾風兄さんの噂聞いたから……」
 慌てて否定する星夜。これで疾風の疑問は確信となったが、これ以上追い詰めれば星夜は殻に閉じ篭ってしまうだろう。
疾風は従弟の頭を撫でる。可愛い星夜の恋が叶うことを願いながら。



 押切は星夜以上に世俗に疎いのか、その後に書かれた日記にも、疾風の噂についての記述は一切なかった。
 内心、どう言い訳すればいいのか、どう白状すればいいのか名案もなかった星夜は、ほっと胸を撫で下ろしていた。
 だから、いつものように日記を書き、誰よりも早く学校へ向かったのだ。
 運動部の朝練習で登校する学生よりも早く、朝露輝く並木道を通り抜けて行く。大好きなあの人の下駄箱に向かって。
 きょろきょろと辺りを伺い、誰もいないと確認してから背伸びする。背の高い押切の下駄箱は最上段で、扉を持ち上げてノートを入れるのは大変な作業だった。
(もうちょっとなのに……)
 両手を使うので爪先立った星夜の身体は頼りない。もとより運動不足な脆弱な身体だ。ぷるぷると震え出したつま先がへばるのもあっという間のこと。
 笑い出した膝がバランスを失う。声をあげる間もなく後ろに崩れ、バタンッと簀子を大きく鳴らして尻餅をついた。
「い…たぁっ………」
 衝撃で眼鏡も外れ、ぼやけた視界。聳え立つ下駄箱を溜め息で見上げ、星夜は眼鏡とノートを求めて床を探った。
見つけた眼鏡をかけて今度はノートだと見回す。離れた簀子の上に発見し、そのまま四つん這いになって取りに向かった。
 けれど、星夜の小さな手はノートを掴むことはなかった。より大きな手が、星夜の背後からそれを取り上げたからだ。
「えっ………」
 てっきり誰もいないと思っていただけに、その腕の存在は驚き以外のなんでもなくて。
「あ…あの……」
 振り向いた先にもっと驚きがあるなんて想像だにしていなかった。
「大丈夫か」
 久しぶりに間近で聞いたその声に、無意識に星夜が身を縮める。凛とした低い声が、誰もいない昇降口に響いた。
差し出された手を取ることもできず、呆然とする星夜を押切を無言で立ち上がらせる。触れられた腕と腰が熱くなった。
(どっ、どうして押切がここに……)
 いつもならば、彼の登校はあと三十分は遅いはずだ。寮に住まう彼は朝練習までゆったりと歩いて来るのだ。
「す、すみません……」
 見上げていた顔を慌てて下げると、彼がノートを持っていることに気付く。
「あ、あの…俺、疾風兄さんに頼まれて…その……」
 押切はどう思うだろう。
 ちっぽけな自分がどう映っている?
星夜は疾風になりたいと思った。
 どうして流れ星に願わなかったのか。押切が好きな疾風になって、彼の隣で星を見たいと、なぜ願わなかったのだろう。
 じんわり滲んだ涙をぎゅっと目を閉じてやり過ごし、星夜はそのまま踵を返した。
 誰もいない廊下を精一杯走る。キュッキュッと上履きが床を鳴らす。やがてその音は増えて、大きなスライドが星夜の小さな身体を捉えた。
「うあっ………!」
 ふわっと浮き上がった身体。驚きの余り固まったままの星夜を、押切は軽々と腕一本で抱えて走る。
窓から射し込む朝日と、確かな押切の足音と、高鳴る星夜の心音だけの世界。実際には一分にも満たない出来事だったが、星夜にはそれがひどく長く感じた。
 柔剣道場へ入り、降ろされた星夜は押切に倣って上履きを脱いだ。
黙ったままの押切はじっと星夜を凝視している。その視線が居心地悪くて、つい星夜の視線は青畳の上だ。
(怒っているんだろうな…。ううん、絶対そうに決まってる……)
 今さらどう言い訳したところで、星夜のしたことは正当化されることではない。
 星夜は目を瞑って小さく深呼吸し、ぐっと歯を悔い縛る。せめては潔く彼に殴られようと顎をあげた。
 空手の有段者で、合気道までもこなすという彼の、渾身の一発を待つ。小さく震える星夜はまるで獅子の前の仔兎だ。
(これで許されることはないけど……)
 押切の怒りが静まり、傷つけたプライドが元に戻ることはないけれど……。
 しかし、待てども押切の拳は硬く握られることはなく、逆に星夜のその行動に驚いているようであった。
「よせ。俺はお前を殴るためにここに連れて来たんじゃない」
 低く唸るような声で言われ、星夜は恐る恐る瞳を開いた。
「あ、あの…。ごっ、ごめんなさい……」
 ぶわっと溢れた涙を手首で拭いながら、星夜は何度も頭を下げる。
「俺、押切をからかうつもりとかじゃなくて、どうしても疾風兄さんに 言えなくて…、押切が本当はすごく優しいやつだって知らなかったから、だから……」
 ごめんなさい、と何度も謝る。
「……でも、疾風兄さんの振りなんてしなきゃ良かった……」
「…………」
 鼻を啜り、涙を拭う手の甲が眼鏡を押し変にずらす。
「ほっ、本当にごめんなさい……」
 込み上げる嗚咽を堪えながら、尚も謝罪の言葉を列ねる。
「俺がちゃんと頼まなかったから、疾風兄さんが……」
疾風には好きな人ができて、両想いになっていた。押切との出合いの芽を摘んだのは間違いなく自分だった。
「……解ったから泣くな」
 差し出された押切の白いハンカチ。手を出さない星夜に、痺れを切らした押切が星夜の小さな
 顔を乱暴に拭いた。
「絶対に押切を好きになるはずだったんだ。押切、優しいし強いしかっこいいから…。俺が邪魔なんてしなかったら……」
「泣くな」
とうとうと出る涙を、無骨な押切がプレスされたハンカチで抑えている。
「もういい。自分勝手に頼んだのは俺だ。お前が泣くことはない」
「おっ、押切………」
「躊躇っていたお前に押し付けたのは俺だ。逆に俺のバカな願いに付き合わせて悪かったと思っている」
 ちらりと見上げた押切は眉間に皺を寄せて、苦々しく吐露する。
「男らしくなかったのは俺の方だ」
そう言って強靱な身体を折り、星夜の前に深々と頭を下げた。
「やっ、止めてよ! 悪いのは勝手に読んで返事まで書いてた俺だよ!」
「いや、俺だ」
 互いに一歩も譲らず、悪いのは自分だと言い合う。次第に大きくなった声が柔剣道場に響き、一瞬の沈黙が訪れた。
「……お前が書いたのは統べて嘘か?」
 もとの静かな低い声で、押切が口を開く。
 聞かれた星夜はふるふると首を横に振った。どんなに疾風になろうとしても成り切れなかった自分…。疾風の名前を書きながら、言葉は星夜のままだった。
「全部本当の俺の気持ち……」
 自分でも赤面するくらい大胆な言葉も、ロマンティックな台詞も全部が真実。
 僅かな沈黙の後で、押切が「そうか」と呟いた。そして言葉を続ける。
「芹沢さんが日記を書いていないことはすぐに気付いた。現実の芹沢さんは日記の内容とかけ離れた人だったからな」
 押切は苦々し気に笑う。
「何度と無視されたし、どう考えても芹沢さんは俺を知らないと思ったよ」
 それでも押切は日記を書き続けた。言葉が足りないと、両親に言われた不器用な自分を奮い立たせて。
「お前のことも気付いた。注意するとよく視界に入って来た。小さいから返って目立って見えた」
 星夜ははっと顔をあげる。星夜の視線をまっすぐ受け止めた押切はゆっくりと頬を綻ばせた。
「押切………」
 初めて見る彼の笑顔に星夜の胸が踊る。
「可愛いくて優しいお前を好きになったと言ったら不誠実だろうか」
 どくんっ…と、全身が脈打った。
 星夜は何度と瞬きを繰り返し、都合のいい夢かと目を擦る。
(おっ、押切が俺を……?)
「でっ、でも……俺は疾風兄さんみたいに綺麗でも強くもないし………」
 押切につり合う器なんて持っていない。
「言っただろう。可愛いくて優しいお前に惚れたんだ」
 ゆっくりと延ばした大きな手で、星夜の丸い小さな頬を優しく覆う。
「これからも日記を書いてくれるか?」
「……俺でいいの?」
 なおも疑う星夜に押切は、お前がいいんだよ、と目を細めた。いつもは鋭い眼が糸のようになっている。
「好き。好きだよ、押切……。もう、疾風兄さんの身代わりはイヤだ。俺を見て、俺を知って欲しい……」
 頼りない身体を大きな押切に寄せて、細い腕を腰にまわす。ドキドキして口から心臓がでそうだ。
「見てるさ。今までも、これからも……」
 そう言って、恥じらう星夜の身体をしっかりと抱き締めた。
「押切………本当に大好き………」
 吐息混じりの告白が押切の胸に熱くかかる。涙に濡れた瞳で見上げられて、思わず押切の下腹部に衝撃が走る。
 慌てて突き放した押切に星夜が不安げな顔を向ける。
「おっ、押切……?」
「お、俺もお前が好きだ」
 珍しく吃った押切は疼いた欲望を必死で宥める。純で幼い星夜に手を出すには、押切はあまりに実直で誠実だった。
(俺が守ってやらんといけないのに…。まだまだ修行が足りないな……)
 滝に打たれて煩悩を祓ってでも、押切は星夜を泣かすことはしまいと誓う。
 そんな押切の決意を知ってか知らないでか、星夜は大きな潤んだ眼でじいっと押切を見つめていた。
「星見せてね。押切の家のいっぱいの星。俺、押切と一緒に見たい……」
 日記で書いたように、大きな月といっぱいの星の下で二人で……。
 押切は故郷の町で味わうだろう苦悶を想像し、小さく眉を顰める。しかし可愛い星夜の顔を見て腹を括った。
「夏休みに一緒に行こう」
 くしゃりと柔らかな星夜の髪を撫でて、押切は優しく笑う。
 それは星夜が今まで見たどの星よりも、一番輝いて見えた。

                             終